何とも不思議なお店があったもんだ。
注文したものと違うものが出て来るとか。
店員は認知症の方で、間違えることも有るそういう世界をお客さんは楽しむらしい。
★「注文をまちがえる料理店」のこれまでとこれから forbesjapan
を読んでいただけば分かります。
以下は自分メモ(参考にどぞに)
- 2日間だけのプロジェクトのつもりが…「想像をはるかに上回るとんでもない反響」を呼んだんだそうです。
- 国内のマスコミはもちろん、世界各国のメディアから「紹介させてください」の連絡が殺到。
・・・命名がわかり易いですよね「注文をまちがえる料理店」ですからこれが「注文をまちがえることもある料理店」だと弱い気がするけど言い切られると強く迫ってきます。
そんな間違いを受け入れて、間違えることをむしろ楽しんじゃおうよ、というのがこの料理店のコンセプトです。
ということです。
気付きは
テレビの取材の時、認知症の方が打合せとちがう料理を作った。
でも、別に困らないじゃん「うまけりゃ何でも良い」
「こうじゃなければいけない」という鋳型、介護の現場に見られる「拘束」と「閉じ込め」
に、気付いたようなんです。
そして直ぐに「注文をまちがえる料理店」が浮かんだんだそうです。
どうしたらそうなるのか、様々な経験と知識が瞬時に解決策を浮かべたんでしょうね。
「間違えちゃったけど、ま、いっか」
というほんわかとした言葉、いいですね。
通常は怒りますよね肉が出てくると思っていたら全然別のもが出てきたりしては。
「違うじゃないか!こんなもん頼んでないよ!」
このサイトの例ではハンバーグじゃなくて餃子だったそうです。「ひき肉」だけは合っていたとか。
社会の受容度や寛容度
様々な社会課題(子育て…同性婚…)が社会の受容度や寛容度が高ければ解決するのではないかと感じていたらしいです。
なるほど、何となく年ごとにギスギスしてきた日本人の社会、ルールに結構厳しい(とても良い事なんだけど)気がします。
昔と比べ交通事故も犯罪も様々なものが大きく改善されましたが、まだまだどんどん進めています。
私は素人なので、いや素人なので聞きたい事知りたい事はどのくらいの数字になったひと段落なのか?ということ。
ゼロを目指しているんじゃないでしょうね?
どのくらいの数字の社会が最も安定して暮らしやすいのか?
過剰な取り締まりや監視社会、隣近所同士の監視など行き過ぎると怖い社会になり、場合によっては逆効果、まさに過ぎたるは及ばざるが如し。
わざとやっているわけでなければ(人間社会は認知症の方も肩こりの方もくそまじめな方もそれこそ様々な人が含まれているわけで)間違いをも楽しむ余裕がいいですね。
さて、以上の事はほんの除幕
リンク先には開店までの苦労それからの苦労、これからのこと等、為になることに満ちています。
どうぞ読んでください。
追記 201711
私は知りませんでしたがどうやらこの素敵な名前は宮沢賢治の小説「注文の多い料理店」から来ているものらしいです。
青空文庫(著作権切れ無料)で読めます。
読み始めたら引きずり込まれました。注文が多いとは…
こういうお話は絵本の方が大人でも楽しめそう。
調べたら、ありました。
★版画絵本宮沢賢治 注文の多い料理店