苦悩することの意義、真宗大谷派三条

真宗大谷派(東本願寺)越後三条教区ねっとの法話が短くて解り易く「なるほど」だったので紹介します。
sanjo

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「真宗の教え」のなかの法話(法話(ほうわ)とは、僧侶や住職が聴衆の前で話をすることWikipedia)が「なるほど」です。

 

1、苦悩することの意義: 今泉温資師(新潟市亀田町 往生人舎) 要約文 音読

  • 具体的に身に起きた様々な出来事を、断じて断ち切っていくのではなしに、身におきた具体的な現実を転じていく、
  • 煩悩を断じて救われるのではなく、煩悩を断たずして、もっと言えば煩悩のままで、煩悩あればこそ涅槃(さとり)の世界に出遇う

2、「あたりまえ」から「不(可)思議」へ: 田澤一明師(新潟市庄瀬 明誓寺) 要約文 音読

  • 歩く、走る、行きたい所へ行ける。それはできる人にとっては何でもない「あたりまえ」のことです。あたりまえであるが故に、それが大きな幸せであり喜びであることに気づきません。それどころか眼を向けようとさえしていません。
  • 自分が今ここに生きているという事実に対して、「あたりまえ」と感じるのか、「不思議」と感覚するのか。現象としては何一つ変わらないにも関わらず、そこには大きな隔たりがあります。

3、私と真宗: 吉武ちいほ師(五泉市村松 淨誓寺) 要約文 音読

  • 学び始めて驚きました。今まで大事に抱えていたものが瓦礫であり、その瓦礫を宝物と錯覚していた愚かな自分をあぶりだされ血の気の引いたのを今でもはっきり思い出します。
  • いくら学んでも学問や経験からは「ご本願」には遇えません。

※ 4の部落問題はこのサイトとはまた異なるものなのでここでは触れません。
5、ひとえに本願をたのみまいらする: 草間 法照師(小千谷市時水 勝覺寺) 要約文 音読

  • ところが、前川さんは続いて「姥捨ては嫁や息子の胸じゃと思うたが、よくよく阿弥陀に相談したら、爺々の胸底谷底にあり」とも言われたのです。ここが凄いところではないでしょうか。
  • この教えを老いの只中で確かめるとすれば、「ヘトヘトになって ここまできて まだ私がここにいるのには なにかふかいわけがありそう」といった受け止めとなりましょうか。

 

以上のように、日本の仏教は素晴らしいものです。宗教にはそんなに詳しくないのですがどの宗教も「人間の本音」のところにその教えの本質が有るような気がします。

現代社会はとにかく人間の欲望をこれでもかと刺激してきて、背伸びばかり要求します。「今」に感謝すると経済は伸びません。

そのへんの「折り合いをどうするか」でしょうか。

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